2児のパパによる「日常を楽しむ情報」ブログ

今日もお疲れ様です。ここでは、2児(6歳/3歳)の子育て中の30代パパが、「日常を楽しみながら過ごす」ことをモットーとしたブログです。”子育て・仕事”に役立つ情報を、週3回(月・水・金)で発信します。

現状はどうなのか

3 社会人駆け出し

 市役所勤務が決まった時、嬉しい気持ちと同時に少し劣等感がありました。少年時代に憧れていたのは外交官など国家公務員でしたが現実は市役所勤務であり、また周りも地元採用が多く馴染めないと思っていました。しかし、大学から付き合っていた彼女との結婚を考えていた事もあり、「自分が納得できる仕事ができる職場環境に変えるくらい出世しよう」と心に決め取り組むことにしました。

 そんな中で配属された最初の職場は区役所の生活保護部署でしたが、それは私の希望していた部署でした。「縁のない場所で働くには、まずは弱者に寄り添い問題点や課題を見つけた方が良い」と思い選んだ職場は私に馴染み、また生活相談に来る方々が持つ悩みや不安などが他人事に思えず、自分が経験してきたものに近いものであったことから、本気で彼らが満足できる生活に戻れるよう支援してました。またプライベートでも結婚し子どもが産まれ、「父親として立派になろう」という想いが、仕事への熱意となっていました。

 ある程度経験を積んだ3年目の時、家庭訪問する度に聞かされていた市政への不満を何度も聞きながら、「それなら何故この市に住み続けているのか、何が魅力なんだろう」と思うようになりました。次の部署は、そんな疑問が解決するような部署がいいと思っていた時、東京2020大会で市が会場になることが決まりました。「東京2020大会で注目されれば、さらにこの市に魅力が出るのではないか、そしてその経験が私自身にもこの市への魅力に気づくのではないか」と考え、4年目で配属されたのは本庁の観光振興部署でした。

 

4 器用貧乏ではない

 初めての本庁勤務は異文化でした。また観光振興なので東京2020大会で成功することを求められていました。若手は私と新人だけ、係長級が6人もいるここが正に私のその後を決めるターニングポイントでした。器用貧乏と自覚していた私は、与えられる仕事は卒なくこなし、だんだん「課内で一番嫌われている難しい事業を改善したい」という欲が出始めました。その事業と紐つく政策は市でも最重要かつ最難関な仕事であり、代々係長級4人で取り組んでいることは、後になって知りました。その仕事に主担当となり、自分が思うがままに様々な事業を立案しましたが、徐々に一人で取り組むことがしんどくなり、残業と休日返上の仕事で精神的に追い込まれてきました。

 そんな時、隣の係長級職員が「私をこの難関な仕事の主担当としたのは、係長が私に期待して課長に進言したからだ」と聞きました。ふと思うと、係長は私の思いつきの事業を一度も否定せず、むしろ応援してくれる形で関係部署や外部とのつながりを作ってくれる人でした。私が一人夜遅くまで仕事をしていた時には一緒に残ってくれて、終電を逃しそうな私を車で最寄り駅まで送ってくれる事もありました。

 思い返すと、私は器用貧乏ではなく周囲のサポートがあって自分を出せていたのだと気づきました。初めての部署でも指導してくれた先輩職員や上司が、私のやり方を認めてくれ、内部研修の講師に推薦してくれるなど自信をつけさせてくれました。公務員試験の時も、友人や今は妻である彼女、また家族はいつも私が勉強に打ち込めるようサポートしてくれていました。「私は器用貧乏ではない、私はただいつも周りに支えてもらえる恵まれた人間なだけだ」と気づいた時には、仕事への姿勢がガラッと変わりました。

 

最後、未来に向けた抱負へ続く...