2児のパパによる「日常を楽しむ情報」ブログ

今日もお疲れ様です。ここでは、2児(6歳/3歳)の子育て中の30代パパが、「日常を楽しみながら過ごす」ことをモットーとしたブログです。”子育て・仕事”に役立つ情報を、週3回(月・水・金)で発信します。

過去の振り返り

 明けましておめでとうございます。

 なかなかブログ作成は習慣化できないですね。ネタは考えつくのですが、途中まで作成した下書きばかりが溜まっていってしまい、次に見るときには「何を書こうと思っていたんだっけ」という始末...頑張ります!

 そんな私の状況を整理すると、今日の今日まで子ども達と遊び、すっかり大学院での論文作成を忘れておりました。まだ正月ボケは治っていませんが、気持ちを切り替えようと思います。

 しかしながら、子どもと触れ合い家族と一緒に過ごす時間が多いと、自然と自分を客観視してました。2023年の初投稿なので、雑な文章となりそうですが、少し自分を見つめ直してみようと思います。

 

1 少年期

 一言で言うと、私は昔から「器用貧乏」でした。この言葉は大学時代に所属していたゼミの先生に言われた言葉でもあります。幼少期から何かに秀でたものは無くとも、何でもない人並み以上にはできることが多くありました。

 幼稚園から始めた水泳は選手コースまで上達し地元の水泳大会では入賞するもJOCまでは行けず、小学校から始めたサッカーでは2つのクラブに所属し副キャプテンまで努めるけど地域の選抜チームには選ばれないなど、今思うと「あと少し頑張れば」ができない性分でした。

 勉強も誰に教わることもなく、授業を聞いて家で復習していれば、テストは高得点が取れるほどでした。小学校高学年ではECCに入り、英語検定も3級まで受験し合格するなど、スポーツと比べれば勉強の方に才があったのかもしれません。その頃には将来の夢があり、読書感想文で読んだ杉原千畝さんに憧れ、「公務員」への興味がありました。

 中学校は父親の仕事の都合で大阪から東京へ転校し、転校先では水泳ではなくサッカーがしたく、部が無かったので友達と一緒に創設しました。その頃にはサッカーは友達との思い出作りのようにして、高校受験に励んでいました。初めての塾では入塾テストの成績が良く、いきなり特進クラスに入りました。そのクラスでは「早慶は滑り止め」精神で授業レベルが高く、また定期的に行う特進テストで成績の悪い生徒を下のクラスに落とす”ふるい”にかけられ、私は何度も行き来を繰り返していました。しかし、だんだん頑張ることを諦め、下のクラスでそれなりに勉強するようになり、受験も早慶どころかその下の親に勧められたMARCH付属校に入学しました。

 

2 青年期

 高校は辛いものでした。何も考えず入ったサッカー部では周りのレベルについて行けず、同級生からいじめに遭うなど大変でしたが、数少ない友人からの助けもあり、また相変わらず勉強の要領がよく成績良を維持しました。そんな中、大学への内部進学の内定を貰いながら国立大学へ挑戦する権利を高校にもらい、大学受験の勉強を自己流でしましたが、そこでも私の「逃げ道があるから良いや」と言う悪い癖が出て、センター試験もパッとせず、入学試験も不合格となりました。

 大学へ内部進学する学部は、私が目指していた「公務員」に近い政治経済学部又は法学部にと考えていましたが、高校の先生から「大学で新しく開設した英語系学部に進学して底上げをして欲しい」と打診され、その学部に進みました。

 大学ではほとんど勉強せず、興味のある授業だけ受けていました。将来が不安になり「教職課程」も受けていましたが、そこまで学校の先生になりたい訳でもなく、教育実習日は公務員試験と重なったため辞退してしまい、また公務員試験も中途半端な勉強だったので国家も地方も散々でした。

 今まではそんな生活でも何とかなっていましたが、いよいよどうしようもない「就活」が迫っていました。民間もいくつか受けましたが、最終面接で「公務員になりたい」など意味のわからない事を何度も言ってしまい、全て不採用のまま卒業を迎えました。その頃にやっと危機感が芽生え、周りに置いてかれる焦燥感に駆られました。何でも卒なくこなし周りを置いてきていた自分が、社会人という壁で立ち止まり周りに置いてかれることに強烈な劣等感を抱きました。そこで自分をもう一度見つめ直し、「公務員試験をもう一度頑張ってみよう」と、同じく公務員試験に再チャレンジする友人と一緒に一念発起で取り組みました。周りは社会人として給料をもらっているので、自分も早朝バイトや派遣バイトなどをしながら勉強しましたが、やはり国家は難しく手が届きませんでした。当時国家の内定を既にもらっていた友人と地方の試験を受ける際、後がない私に友人が勧めたのが今私が働く政令指定都市でした。試験は手応えありませんでしたがご縁があり、無事に合格通知を受けっとった日には、父も母も泣いて喜びました。

 

現状に続きます...