2児のパパによる「日常を楽しむ情報」ブログ

今日もお疲れ様です。ここでは、2児(6歳/3歳)の子育て中の30代パパが、「日常を楽しみながら過ごす」ことをモットーとしたブログです。”子育て・仕事”に役立つ情報を、週3回(月・水・金)で発信します。

「こうして流山市は人口増を実現している」を読みました

1 流山市とは

 流山市をご存知の方も多いと思います。今はテレビやネットでも話題の流山市は、千葉県にある東京のベッドタウンですが、近年子育て世代の人口流入が多く人口増の地域となっています。日本全体では人口減少が進む中、どのような戦略で人口増を実現しているのか。地方自治体は、流山市に学ぶべきところは多くあると思います。

 

2 本について

書 名 こうして流山市は人口増を実現している
著 者 淡路 富男
出版社 株式会社 同友館
発行日 2018年10月15日

 

3 概要

(1)人口減少時代を生き抜く4条件

 1991年以降、流山市は人口減少と地域経済の低迷・少子高齢化・財政逼迫

→”子育てに優しい街が伸びる街”

 2027年以降も人口減少しない、そして人口減少しにくい街を創る

 ①母都市への交通利便性

  ・東京の衛生都市として、東京のエネルギーを取り込む

   →TX、バス路線整備

 ②良質な住環境とその指標向上

  ・不動産市場での価値指標として、量より質にこだわった街

  ・緑の景観(グリーン認証制度、景観条例、街づくり条例)

  →転入者の2/3は流山市を第一候補として選択

  →担税力のある住民の転入増

 ③快適な都市環境とその創出

  ・子育てに優しい街が伸びる街、子どものそばで働ける街が伸びる街

  →保育所整備、駅前送迎保育ステーション、サテライトオフィスなど

 ブランディング戦略

  ・対象者を「未認知層」〜「愛着プライド層(アンバサダー)」の7段階に

⇨「人口の減りにくい街づくり」を進めていく戦略

 

(2)人口構造の変化

 ・長寿傾向の強まり

 ・40〜49歳代「働き世代」の人口が最も増え1.71倍に

 ・30〜39歳代「子育て世代」の人口は1.29倍に

 ・10歳未満の「子ども世代」の人口は1.49倍に   

合計特殊出生率1.57(全国平均1.44)

 ・TX(つくばエクスプレス)停車都市との比較

  基礎期:無駄の削減(最小で最大の利益)

  成長期:ヒット政策(駅前送迎保育ステーション)

(3)ニーズの把握

 ①流山市転入者アンケート

  →転入者の69%は県外

  →東京、茨城、埼玉など隣接自治体からの移住が多い(37%)

 ⇨対象の細分化(セグメンテーション)

  →通勤と通学の利便性、仕事の都合が理由として多い

  →物件、気に入った住環境の良さ、地縁血縁が上位

 ⇨対象の選定(ターゲッティング)・・・子育て世代

 ②交流人口を増やし、街の良さを知ってもらう

 →市民の増加→企業の進出→雇用の増加

 ③顕在ニーズと潜在ニーズ

  ・顕在ニーズによる評価、潜在ニーズで探る将来市民

 →各政策の向上→住み心地の向上→愛着意識の向上→定住意識の向上

(4)その他

 ・都市ランキングでの評価

  財政力の推移:市税収入の増加、扶助費の増加(成長に伴う費用)

         市債残高の増加(施設活用による市民活力の向上)

 ・人口減の真因

  「原因」:人口増を誘導できない政策、公共サービスの不適

  「真因」:原因をもたらした組織体制のあり方や能力

 ・SWOT分析

  →トップダウンからミドルアップへ移行

  →ボトムアップの改善案

⇨共働き子育て世代を中心に人口を増やす

 

4 所感

 流山市が取り組んだことは、「子育て世代に特化した政策」であるように見える一方で、子育て世代の人口流入により担税力のある市民が増え、市税収入が増えることで高齢者世代にも投資できる税源が増えるといった、多世代にWin -Winとなるものであると実感しました。その一方で、こういった一見「特定の世代に特化」した政策は、なかなか広く市民の同意を得られないのが現状です。

 いかにして市民に「我が町を良くしたい」という当事者意識を芽生えさせるか、そして市民と一緒に街づくりを進めていけるかが重要となります。その意味では、行政としては”シビックプライドの醸成”と”持続可能な都市に必要となる人口層の確保”を両天秤に、政策を進めていくことが必要であると思いました。

「君たちはどう生きるか」を観ました

1 きっかけ

 久しぶりに有休を取得。妻も私に合わせて有休を取ってくれました。子どもたちは保育園に...さて、久しぶりの夫婦の時間。

 子どもたちが寝静まった後とかには、「あそこのラーメン屋さん行きたいね」とか「池袋で洋服見たいね(埼玉住まいあるあるかな?)」など意見は出ていましたが、いざ休みの日となると、どれにするか迷うところ。そんな中、ふと「今話題のジブリ作品を映画館で見てみようか」となりました。何でも今回は広告などが一切なく、また映画を観た方の感想は善し悪し別れるとのこと。原作は読んだことはないですが、ジブリ映画好きの私たちではあるので、朝一番で見に行くことにしました。

 

 

君たちはどう生きるか

 

2 映画の前後

 折角なので、普段はあまり行かない新宿の映画館へ。朝一番の9時からの映画でしたが、そこそこ人がいました。年代は30代〜50代くらい、子連れの家族もいました。

 映画は2時間半くらいだったと思います。映画が始まるまでの予告が30分近くあり、妻と二人して「長すぎて逆に予告映画の印象が悪くなる」と話すほどでした。

 映画自体は何とも言えず「難しかったなー」という第一印象。雰囲気は「思い出のマーニー」に似て、ジブリ特有の”起転承結”ではなく、王道の起承転結型でした。

 

3 映画の概要

 主人公の少年は幼い頃に火事で母親を亡くし、それがトラウマのように主人公を苦しめます。父親は母親の妹と再婚し、順風満帆のような様子で過ごしている感じが、まさに家族よりも仕事や自分を優先する「昔の父親」という印象でした。

 再婚した母親の妹は懸命に主人公との距離を詰めようとするも、どこか他人行儀で無理をしている印象。主人公も全然なつく様子がなく冷たい接し方をするため、夫婦の間柄をどこか歪なものにする主人公に対し、少し疎ましく感じているのではと思わせるような様子でした。

 ある日、主人公は転校先の学校で喧嘩をしますが、喧嘩したことを悟られないよう、自分の頭を石で小突き、縫うほどの怪我をします。父親には「誰にやられたんだ」と問い詰められますが、「自分で転んで怪我をした」と嘘をつき、それに対して父親は犯人探しをせんとばかりの学校側への問い詰め、そして我が子を想ってか、学校に多額の寄付をして環境を良くしようとするあまり。

 父親に嘘を付き、学校にも馴染めず、再婚した母親も受け入れられない状態の主人公は精神的に不安定な状態である中、母親が手書きで主人公の名前をメモした「君たちはどう生きるか」の本を見つけます。その本を読んで涙をする主人公。この本を読んで、精神的な安定を取り戻したように見えました。

 その後、失踪した義理の母親を探しにパラレルワールドのような異世界へと旅立ちます。その先では、少女時代の母親や先祖と会い、そして様々なキーパーソンと触れることで、自分自身を見つめ直しながら成長していくストーリーでした。この異世界は食人インコなど少し狂気じみている所はありますが、のほほんとしたシーンから急にシリアスなシーンへと移るジェットコースターのような疾走感があり、あっという間にクライマックスとなりました。

 

4 映画から宮崎監督の思いを読み解く

 この映画で感じたことは、「人は過ちを犯すことはある。ただ、それをやり直し前を向いて進むことができる生物である」というものでしょうか。主人公が母親が残した「君たちはどう生きるか」の本を読んで涙するシーンは、主人公が抱える悩みは不安そして嘘偽りの自分自身を認め受容し、そしてやり直させる自信を持たせる重要なシーンであったと思います。

 そして、クライマックスで先祖にパラレルワールドの管理者を打診されるシーンでは、主人公は自分自身がいた現実世界に戻る決断をしました。現実世界は主人公にとって決して極楽ではなく、学校ではいじめられ、母親は火事で亡くしており、相容れない義理の母親がいる世界です。それでもその世界を選ぶことは、現実を受け入れ、それでも前へと進んでいく主人公の強い決意を感じられるものでありました。

 私に置き換えても、日常は決して楽しいことばかりではありません。仕事でも辛く泣きたくなるような精神的に追い詰められることは多々あります。失敗や上手くやり過ごすための嘘をつくことだってあります。でも、それは人間誰しも経験することで、人間であれば当たり前のことなのかもしれません。それよりも重要であるのは、そのような事実を受け止め、反省し、次に繋げていくマインドセットなのでしょう。

 

 この映画は大人の私が観ても得るものが多く、有意義な時間を過ごしたと実感できるものでした。そして同時に、いつか物心ついた子どもたちに、この映画を観せて感じて欲しいなと思わせる作品でした。

30代の仕事について

 久々の役所仕事に追われ、随分とご無沙汰してしまいました。この間、私なりに今の仕事について思うこと、そしてこれからの仕事について自分なりに思うことを整理してました。

 

1 今の仕事について

 今の部署はいわゆる計画管理を主な仕事としております。民間企業で同種の部署があるかは分かりませんが、子育てなど各分野を担う各局の政策・施策・事業を取りまとめ、年度毎の目標に対する進捗状況(業績)をマネジメントしてます。その仕事自体は、幅広いものでありますが、行政を俯瞰的に捉えられる貴重な部署です。

 自分で各分野を推進できる訳ではないので少し立場は難しいですが、庁内コンサルタントのようなものです。その他にも、もっと深く各局担当として重要政策の実現にむけた調整、また市の計画改定などあります。

 

2 「やりがい」とは何か

 この管理系部署で難しいのが「やりがいを得る」です。企画などができる事業系部署とは違い、計画の管理上でやりがいと言えるものは、見つけることが困難だと実感しています。財政部門など類似する管理系部署間での異動経験しかない職員にとっては、何ら変わらぬ日常だと思いますが、事業系を経験し、また大学院での研究を経た私にとっては厳しい現実を見せつけられた思いでおります。

 

3 管理系部署の「やりがい」の持ち方

 そのような中、この管理系業務にも課題が見えてきました。その1つが計画実績の取りまとめです。毎年度の計画内容の実績評価の際には、その評価方法や表記に統一事項を設けておりますが、回答で上がってくるものは”メチャクチャ”なものです。何度も修正し照会をかけても、何度も何度もまた違うミスを行うなか、それを1つ1つチェックする我々職員の負担はかなり大きいものです。ここで持つ考え方としては、「いかにして回答方法を相手型に理解してもらえるようにするか」と「回答内容にミスが生じないようなベースとなるものを作るか」だと思います。

 前者については、職員が平均3年で異動する事などを考慮するとあまり現実的ではないため、後者に焦点を当て、やりがいを作るようにしようと思っています。今は行政でもクラウドサービスを多くの場面で使うようになりました。いかにして上手く管理業務を回しているか、それは私たち職員の負担軽減もそうですが、人的ミスを減らすという意味でも、先進事例を研究し取り入れていくことに「やりがい」を得たいと思います。

 

4 どんな仕事も結局は「自分自身の仕事への捉え方」

 ここでまとめると大したことはなさそうですが、ここ数ヶ月私は真剣に悩み、正直この仕事や職場、そして組織を嫌っていました。

 転職も思い始めていたのですが、「やりがいさえあれば続けられるのに」と考えた際に、「では私にとってやりがいとは何を指すのか」と振り返ると、それは「前例踏襲の仕事を変えていくこと」、そして「自分自身が楽しく、かつ自分が所属する組織が外部から評価されていくこと」にやりがいを感じていると再確認しました。仕事に対しての捉え方は何なのだろう」と再確認しました。「この業界で仕事したい」や「この分野に関わる仕事をしたい」といった外見ではなく、「この仕事はこの部分が改善点だ」や「もっとこういう風に仕事をした方が効率的では」といった中身が自分にとって求めていることであると分かった時、様々な分野に3年程度で異動する地方公務員は、私の性格上では天職であるのではと考え直し、もう少し頑張ろうと思い直しました。

 事業系の部署の方がより性格に合っていることは間違い無いですが、「30代となった今、未経験で苦手意識のある仕事を率先して取り組んでみよう」と思い、奮闘しています。20代の時は右も左も分からないまま、時には成功体験があったり、それでも多くは失敗や悔しい経験をしながら経験を積んできました。30代はその実践時期であり、自分の経験がどの場面でどのように機能していくかを試す時期であるのかもしれません。

 

 もし同じように今の仕事に悩んでいる方がいましたら、「私は今試しの時期にいる」んだと思ってみてはいかがでしょうか。自分が持ちうる経験や知識を試して試して、それからでも転職は遅くないのではと思います。そして、転職の際には「自分はどの仕事がしたい」良りも「どんな風に仕事をしたいのか」を忘れないようにして欲しいと思っています。

「夕張再生市長」を読んでみました

 「夕張と言えば”夕張メロン”」と多くの方は思うかもしれませんが、我々自治体職員としては、「夕張と言えば”一度破綻した自治体”」といった印象を持ちます。少子高齢化の中で迎える人口減少社会において、この夕張市という存在は地方自治体の将来図であり、学ぶべき点は多くあると思います。そんな夕張市を再生させるために立ち向かった元東京都職員の方の書籍を読みました。

 

1 本の情報

◆書名  夕張再生市長
◆著者  鈴木 直道
◆出版社 株式会社講談社
◆出版日 2014年10月20日初版

 

2 概要

(1)夕張市

・炭鉱と共に栄えた町

 1960年代:人口12万人

 →1962年:原油輸入自由化(石炭から石油時代へ)

 →1981年:炭鉱ガス事故で廃坑

  炭鉱会社が撤退、残った住宅や病院・水道施設を市が買取り

  (1979〜1994年 計584億円投入、内332億円地方債)

・炭鉱から観光

 過大投資と三セク放漫経営で巨大赤字

・人口減少

 1万人程度、2010年高齢化率43.8%

 

(2)夕張の姿は日本の未来の姿

 1000兆円超の借金、税収の落ち込み、人口の自然減少・高い高齢化率

夕張市

 職員の給与4割カット

 管理職の退職と反比例する業務量(財政再建

 ボランティア精神(行政ができないなら自分たちでやるしかない)

 →1番の被害者は市民、財政再建を市民生活より優先しなければならない

  (内3億の借金を18年で返済する計画、計画変更は北海道と国の許可)

・新たな企画

 人に来てもらう取組

 (高速道路の寄り道サービス、企業誘致)

・市民との関係

 相互理解の場を作る(市長・職員が出向く)

 将来像を示す(何故この取組が必要か)

 

(3)まちづくりマスタープラン

 人口減少と税収減、行政サービスの維持困難

 住宅不足で定住人口が増えない

コンパクトシティ計画

 街を集約し効率的な暮らしを目指す

 人口減少に対応した街づくり

 (通常は人口増加の政策に集中しがち 例)選挙対策による交流人口や定住人口)

 →住民は総論には賛成(次世代に繋いでいく)

  しかし各論は反対(引っ越すとは何事だ)

 →役所の理屈を捨てて住民の立場に立つ

 →成功体験を作る

 

(4)自治の意味

・人口はゼロにはならない

 行政サービスを維持する必要性がある

・夕張に住みたいと思える都市にする

 →高齢が多いから優先するだけではなく、子どものことを考える

  (人口減で行政サービス低下すると、高齢者も住みにくくなる)

 →2013年10月〜:乳幼児の医療費無料化、職員待遇の改善

 

(5)新たな可能性

・次世代エネルギー(CBM)

 炭鉱の特徴

・廃坑の再活用

夕張メロンブランド戦略

・企業誘致

・公共交通(DMV)、線路道路を走る

ふるさと納税

 

3 感想

 地方自治体の根幹は「人口」であると改めて実感しました。人口が減らないように地方自治体は努力すべきであり、人口が減らなければ税収は減らず行政サービスも安定するため更なる人口の呼び水になると思います。また、必要な視点は持続可能性であることも分かりました。目先を見るのであれば増えている高齢者政策ですが、先を見るためには少子化対策が必要となります。この両者を天秤に掛けて政策を遂行することが、その都市の持続に寄与することを踏まえ、働いてみようと感じました。

「5日間で言葉が「思いつかない」「まとまらない」「伝わらない」がなくなる本」を読みました。

 みなさんは仕事の中に苦手なことはありますでしょうか。「資料を作ることが苦手」や「データの見方が分からず分析が苦手」など色々とある中、同僚からよく聞くのは「先輩や上司に事業説明することが苦手」という言葉です。確かに、資料作りが得意な人でも、その説明が”資料棒読み”で聞くに耐えないことは多々あります。

 仕事ができる人とは、「資料がまとめ上手」だけではなく、「伝わりやすい説明上手」であることも求められます。そのために何をすれば良いかのヒントが書いてある本でした。

 

1 基本情報

◆書名
 5日間で言葉が「思いつかない」「まとまらない」「伝わらない」がなくなる本
◆著者
 ひきた よしあき
◆出版社
 大和出版
◆出版日
 2019年4月30日初版

 

2 概要

◆思いを言葉にする力

・1歳〜5歳:200語

 →5歳には5,000〜10,000語習得可能

 自分の思いを様々な場面でアウトプットしたくなる

 

(1)頭の中にあるものを知る

ボキャブラリーを増やす

 例)30秒で図形の名前を10個言う

・形容詞を言わないようにする 

 例)嫌い、甘い、美味しい

→本質が見えてくる(何がどう美味しいのか・・・)

・五感や自分以外の人の様子を交えて表現する

 例)情景を言葉にする、実況アナウンサーの言葉に注目する

 

(2)人の頭で考えるクセをつける

 自分以外の視点で多角的に捉える

・日頃の行動に理由をつける(何故そのような行動をしたのか)

・主語を3人称にして考える(客観性、説得力を持たせる)

 

(3)言葉の戦略化

・「〇〇という考え方」で仮説立て、自分なりの切り口を作る

・「一人ブレスト」でアイデア出し

 

(4)論理的に発想する力をつける

・「何故」を5回投げかけ物事の真意を知る  

・「弁証法」でピンチをチャンスに(反対意見を大切に、長所と短所を合わせる)

・伝える人をイメージしターゲット化(擬人化、相手との共通イメージ)

・ゴールから考え、見えていない部分を明らかに

 

(5)真に伝わる表現力を磨く

・”40文字”を意識、動詞を多く入れる

 (必要のないものを捨て、伝えることを絞る)

・相手を”自分ごと”にする(主語を「私たち」にする)

・「とっておきの話」や「人が驚く数字」を使う

・朝、その日の話題を仕込みまくる

 

3 感想

 初心者にも分かりやすく体系だった内容でした。自分が何気なくしていた行動を言語化してもらうことで、改めて自分自身に意識させることができたと思います。今回は概要のみまとめましたが、本では”話すことが苦手”な主人公が、ステップを踏みながら徐々に説明上手になっていく変遷が描かれており、「自分は今この段階かも」と投影し易くなっています。是非読んでみてください。

地方公務員はどんな仕事をしているのか(2)

1 4年目〜7年目

 区の福祉課を3年で異動するのは当時稀であり、通常5年目の異動でした。私自身、毎年度の人事評価でA評価を受けてきましたが、A〜Eの人事評価の中で、A評価の上位層は他の評価と比べ翌年度の昇給が多いメリットはあるが、異動へ影響するとは考えていませんでし、事実影響していないと感じます。

 異動先は経済系の観光振興部署でした。4年目のミッションは、まさかの記念花火大会であり、今思えば福祉課など多忙な部署でも耐えられる若い人材が必要だったのかもしれません。慣れない本庁仕事の上に花火大会の準備となり、毎日辛い日々を送っていました。区役所とは違い本庁部署は窓口があるも、住民よりも圧倒的に関係業者が来庁します。業務も福祉課で使っていた福祉端末ではなく全庁共通の端末を使用し、縁のなかった文書起案や予算等の財務システムを使いこなさなければなりません。そこに花火大会の開催時期が迫っておりました。

 この部署は当時若手が私のみであり、ほぼ係長級で構成されていました。その為、普段の雑務もそうですが花火大会の業務でも面倒事は私が引き受け、地域住民や企業への説明や交通規制の警察折衝、打上現場や関係各所の作図などを取組みました。

 

2 考えが変わったきっかけ

 花火大会の準備は他の業務と並行して行われていたため、私は月100時間以上の残業をしていました。精神的にも身体的にも疲れていたある日、協賛金を企業に相談するために部長と車で向かう時、部長から「経済系のこの部署では前例踏襲ではなく、新しいことをどんどん取組みなさい」との言葉を頂きました。ルーティーンの雑務や花火準備も先輩から言われたことを単にこなしていた自分にとって、その言葉は私にとって激励でありました。そこで、花火大会では前の福祉部署で感じた全ての人に魅力あるものにするべく、前回大会では考えもされなかった障碍者専用の観覧席や、車移動が必要な方の駐車スペース確保などを提案し実現させました。この姿勢は、局長級など上層部に大変評価され、「上に立つ人物の器がある」との言葉もいただき、当時の私にさらに火がついたことを覚えています。

 花火以外の業務でも「前例踏襲せず革新的なことに取組む」姿勢は変わらず、長年踏みとどまっていた国際会議の誘致に係る庁内協力体制の構築、他の連携都市との協力による交流人口の拡大事業展開など、自分の役職に捉われず、例え相手が課長でも部長でも怯むことなく自分の考えとその実現可能性を理解してもらい、実績を積み上げてきました。気付けば異動して4年目になり、新しく異動してきた先輩後輩の指導もするようになり、上司の理解と協力により自分が働きやすい環境ができていたと思います。

 

3 市の仕事は何か

 しかし、私自身悩みはありました。4年目になると所属する観光部署だけでなく、経済企画や環境など他部署とチームを組んで仕事をする機会も増えました。その時に感じたのが、部署や職員によって温度感が違うことで、仕事の進捗スピードに差があることでした。そして、その都度私は「温度が低い部署はやり甲斐があるのか、何のために仕事をしているのだろうか」と苛立っていました。

 そんな時に思い返したのが、区役所の福祉課時代に体験した市の魅力でした。「私たち地方自治体の職員の役割は、住民にとって魅力的で住み続けたい都市に成長していくことではないのか」という気持ちが蘇ってきました。それと同時に、私が次に取組む仕事が「市の将来課題に対応する長期事業」となり、市の将来課題を整理すると近い将来人口減少局面を迎えることを知りました。

 「何とか人口減少を先送りにすることができないか」と考えていた私に、政策系大学院へ行ってみないかとの話が舞い込んできました。「大学院で地方行政等を学び、この市の将来課題に必要な取組を第三者視点で研究できるかもしれない」と思い、派遣を希望すると伝え、面接や論文等の審査も通過して無事派遣が決定しました。そして、大学院で様々な学問と他の地方自治体職員や国の職員と交流し、私が働く市に必要なマインドを培っている今に至ります。

 区役所や本庁、そして大学院派遣と環境が変われど、常に私は「この仕事は誰のためにしているのか、何を求められているのか」の信念を持っていたからこそ、それぞれの環境で必要な仕事をしてきたと思います。そして、その仕事に係る責任は年次を経ることに重くなりましたが、その重圧こそ市からの期待であり、それすら心地よく感じて過ごしていました。

 現在は「やり甲斐がないから転職する」、「承認欲求が満たされないから転職する」ことが増えてきてます。転職は環境を変える一つの方法ですが、それよりもまず取組んで欲しいのが「そもそも何がやりたかったのか」そして「それを実現するためには今の環境で何をすべきなのか」といった、目標からの逆算だと思っています。その結果が転職であれば転職先で成功すると思いますが、ただの現実逃避であれば、転職先でもきっと同じ思いをすると思います。このように思うようになったきっかけは私にはありました。日々楽しそうに仕事をしている人、前向きな人などに是非話を聞いてみると、自分に必要な答えが返ってくるかもしれません。私も、そんなきっかけを与えられる人間になれるよう努力していこうと思います。

地方公務員はどんな仕事をしているのか(1)

1 地方公務員のイメージ

 みなさんは地方公務員にどのようなイメージを持っていますでしょうか。「住民票の発行とかルーティンワークが多そう」や「毎日同じことの繰り返しでやり甲斐がなさそう」など、あまり良いイメージがないような気がします。私も地方公務員になる前は同じイメージを持っていました。

 しかし実際働くと、地方公務員と言えど様々な仕事があり、それぞれにやり甲斐があると知りました。今回は、私の主観で、実際に政令指定都市の行政職員として働いてきている経験に沿って仕事を整理したいと思います。

 

2 1年目〜3年目 区役所勤務

 まず初めに、採用試験に合格すると合格通知が送られます。「合格=採用」ではなく、当然合格しても他の公務員や民間企業に就職する方もいますから、その過程を経て採用職員の定数に合わせて採用通知が届く仕組みとなっておりました。その後、人事担当から意向調査が行われます。「どんな仕事がしたいですか」という定番な質問に答えていくものですが、私は当時大学での卒業論文で発達障碍者向けアプリ開発を研究していたことから、「福祉関係の職で働きたい」こと、また都内の実家から通う予定であることから「都内からなるべく近くの勤務地が良い」と言った記憶があります。

 4月1日に入庁式が行われ、その時に初めて配属先が知らされます。私は都内から最もアクセスが良い区役所の福祉課でした。何の下調べもしておらず、福祉課と聞いた私は「障碍のある方への支援をするのかな」と思っていましたが、私が働く市では区役所の福祉課は生活保護担当で、障碍者の支援などは支援課が担っており、福祉職採用もしておりますが人員が少なく、行政職員が不足分を担う人事体制でした。

 生活保護の仕事に慣れるのには苦労しました。周りの同期の育成担当は少し上の先輩職員である中、私の育成担当は係長級であり、また教え方も手取り足取りではなく基本的には「見て学べ」というスタイルでした。しかし、その教え方が私にはベストであり、育成担当だけではなく周りの先輩職員や同期の仕事で参考にできることがあれば全て取り入れることで、ルーティンワークの中でも自己流を確立し、効率化と事務処理の適正化を図りました。また、その効率化の手法を課内に普及させることで、私が働く区福祉課は行政区の中で最も残業が少ない区となりました。

 生活保護担当の仕事は大きく分けて二つ、「相談対応」と「受給者支援」です。「相談対応」は毎日窓口や電話で来る生活相談の対応であり、具体的にどのような生活をして何に困っているかを面談し、生活保護の申請を受け付けます。その後、受給開始にかかる行政手続きを行いながら、受給者の生活支援を行います。その「受給者支援」とは、その方の状況に応じた受給額の決定を毎月行う行政事務よりも、訪問し実際の生活状況と健康状態を観察し聞き取ることが主でした。私が働く区役所では、1人の職員が90世帯を受け持ち、ほとんど毎日外出し家や介護施設、病院などに訪問して状況観察をしていました。受給者も高齢者や障碍者、若い方、父子世帯、母子世帯、多子世帯と様々です。状況観察もただ聞き取るだけでなく、その方が苦しんでいる真の原因に触れ、こちらの精神も追い込まれてしまうことが多々ありました。また、家庭状況を観察してDVやネグレクトなどの疑いがあれば、すぐに他部署と連携して対応することもありました。この受給者支援は職員に大変な負担があり、日々の時間外労働だけでなく年末年始も救急対応があれば休日出勤するなど休みがなく、仕事に慣れている先輩職員でも何人かは病気休暇に入ってました。

 その中で私は、生活保護の仕事を「人の人生に触れる仕事」と捉え、彼らの苦しみや悩みを少しでも和らげ自立に向かえる手助けをする気持ちで、個々人に深入りせず適切な距離感で接しました。1年目は月70時間の残業でしたが、2年目になると要領が分かり、時間の使い所を上手く調整することで残業は月20時間程に削減できました。

 3年目の時には、「何故彼らはこの市に住み続けるのか」と疑問を持つようになりました。というのも、訪問すると多くは私達行政への不満や市の悪口を聞くのですが、何故かそういう方に限って長く定住しているのです。担当する世帯は毎年度変わるのですが、3年目で担当した世帯との関係性も構築できてきた頃、「何がこの市の魅力なのか」を訪問中に聞くと、その年代によって様々な答えが返ってきました。それらを聞いている内に、「今は困っている人の人生を支える仕事にやり甲斐を感じるが、色々な人を魅了させる取組も面白そうだな」と思い、その年は地域ブランド研究の研修に参加したり、「地域ブランドを作る仕事」として経済系部署への異動希望を出しました。

 

・・・次回、4年目〜現在までを整理します。