2児のパパによる「日常を楽しむ情報」ブログ

今日もお疲れ様です。ここでは、2児(6歳/3歳)の子育て中の30代パパが、「日常を楽しみながら過ごす」ことをモットーとしたブログです。”子育て・仕事”に役立つ情報を、週3回(月・水・金)で発信します。

なぜ地方公務員になったのか

1 将来は何になりたいのか

 毎年1月頃になると、自分が大学3年生・4年生の時に就職に苦悩していたことを思い出します。当時は公務員になるのか民間企業に就職するのか非常に悩んでいました。

 初めて持った将来の夢は宇宙飛行士でしたが、それは単に宇宙が好きだったためです。その後、小学校高学年になると、課題図書で読んだ杉原千畝さんの話に感銘を受け、外交官引いては公務員という仕事に興味を持つようになりました。

 その思いを持ちながら大学に入りましたが、公務員になるのか否かの意思は揺らいでいました。大学2年生でインターンシップに行き、様々な民間企業の職場に行くと、それも少し面白そうだなと思い始めていました。その中でもIT分野に将来性を感じた私は、IT分野について研究できるゼミに大学3年生の時に入りました。

 

2 民間企業か公務員か 

 ゼミでの研究は刺激的でした。私はIT技術が様々な分野で革命を起こしていることに興味を持ち、大学3年生の時にはビジネスコンテストに出場し、他大学の先生や民間企業に協力を得ながらアプリを開発するなど精力的に活動しました。しかし、自分で起業するというよりはITインフラ企業に中で変革を起こせる働きをしたいたいと思っていました。一方で、内閣府の国際交流事業にIT分野の面で関わる機会があり、そこで日本や各国の公務員と話をすると、行政としてのIT分野における社会変革にも興味が出てきました。

 公務員試験は大学4年生から始まることを受け、私は先に民間企業をいくつか就職活動してみることにしました。NTTや楽天など様々な大手企業を受け分かったことは、彼らは変革を起こしているが、そこには法整備など国のバックアップがなければなし得ないものであるということでした。いわゆる内々定までいただいた企業もありましたが、将来公務員にもなりたい旨を相手型に告げると、「是非そちらの分野で頑張って欲しい」と励みの言葉をいただいたこともあり、私は国家公務員を目指すようになりました。

 

3 公務員試験の挫折と新たな光

 しかし勉強し始めが遅かった私に待ち受けていた現実は甘くなく、国家公務員試験は軒並み不合格でした。いよいよ卒業が待ち受ける中、周りは就職先を見つけている中、引き続き公務員を目指すことにしましたが、勉強ばかりでは折角の時間が勿体無い

と感じ、時間的に余裕がある派遣型で民間企業に勤められないかと考えました。

 私が派遣されたのは都内の大学附属歯科病院でした。そこの総務係として働き始めた私は、勉強の傍で日々色々なところから送られてくるメールや郵送書類の処理を主に行っていました。そこで知ったことは、大学病院のような大きな施設が関わる行政は、国よりも特別区など地方自治体が意外と多いことでした。地方公務員は考えていなかった私でしたが、地方自治体はどのような仕事をしているのか興味が出始め色々と調べることにしました。しかし、都道府県など広域自治体特別区といった特別地方自治体、市区町村といった基礎自治体を見てみましたが、どうも将来の発展性を感じられず、国から与えられたルーティンワークを日々こなしているのように感じられました。

 

4 政令指定都市としての地方公務員

 そのような中、様々な革新的取組を行う政令指定都市に惹かれました。それと同時に、転勤族であった私の両親が、「もし転勤がなくなれば〇〇市が暮らしやすく、定住したかった」と言っていたことを思い出し、その市が政令指定都市であることを知りました。「ITで社会に変革を起こすのは国家公務員として省庁で働かないといけないと思っていたが、もしかすると政令指定都市であれば、何のしがらみもなく自分が思うような取組みができるかもしれない」と思い、そこからは地方公務員試験の勉強に焦点を当て、縁あって合格し採用されることとなりました。

 

5 将来どんな人間になりたいのか

 実は、地方公務員試験に合格した時、私は派遣先の大学病院でもキャリアを積み、新たに病院長秘書の仕事もするようになっていました。仕事ぶりは散々であったと思いますが、病院長は私のことを評価してくれ、「派遣ではなく正社員としてどうか」という話もいただいておりました。そのような中、地方公務員になりたい夢と、その試験に合格したことを病院長に伝えると、病院長は大変喜んで「公務員は私に向いていると思う、是非頑張ってまた別の形で一緒に仕事をしよう」と言葉をかけていただき、豪華な退職パーティーまで用意してもらいました。

 何がきっかけで将来どうなるかは分かりませんが、私が信念に持っていたのは「自分は将来何がしたいか」でした。「折角の人生であれば、何か名前を残せるようなことがしたい」という思いの元、いつ何時も、社会を変えていくような人になることを夢見て、宇宙飛行士や外交官、IT企業や国家公務員と職種は変われど、その軸はブレずに持っていました。

 職業はそんな自分になるための手段やきっかけに過ぎません。大切なことは自分の信念であり、そのことを忘れずに今も地方公務員として働き続けています。次回は、そんな地方公務員の仕事を紹介したいと思います。